辞める日、AIと積み上げた工夫はどこに残りますか?
あおるつもりはありません。ただ、見落としている人が本当に多いので、守り方をまとめておきます。
最近、Xでひとつの指摘が広がっています。仕事で使うチャットAIのアカウントは、会社のもの。だから辞めるときには持ち出せない、という話です。毎日AIと相談しながら磨いてきた頼み方も、うまくいった手順も、会社のアカウントに残ったままになります。転職先で同じ仕事をしても、前の職場ほど力が出ないのではないか?という問いかけです。
愛着の湧くAI秘書を、社員の引き留めに使う会社が出てくるのでは、という冗談まで見かけました。笑い話の形をしていますが、笑えない人も多いはずです。
なぜ、この話がここまで広がったのでしょうか?
僕の見立てでは、AIを毎日使う人ほど「どこまでが自分の実力で、どこからがAIの実力なのか」という境目に、心当たりがあるからです。転職やこの先の働き方への不安に、まっすぐつながっています。
自分には関係ない、と思った方にこそ読んでいただきたい話です。危ないのは、たとえば次のような人です。
・会社のアカウントで、毎日AIに仕事を相談している勤め人
・社員にAIを使わせているのに、頼み方を共有する決まりがない経営者
・自分ひとりのアカウントに、仕事の工夫をすべて預けている個人事業主
経営者の側から見ると、話は逆向きになります。社員が辞めれば、その人が頭の中や個人のアカウントで育てた頼み方も、一緒に出ていきます。会社に残るのは履歴の山だけ。何が効いたのかは、誰にも分かりません。
人が抜けると、手順も抜ける。僕自身、エンジニアの一部を担当していたビジネスパートナーを失った経験があるので、この怖さは他人事ではありません。
履歴は財産に見えて、持ち運べない日記帳です
AIとのやり取りの履歴は、一見すると財産に見えます。何百回も相談した記録が残っているのですから。
ところが、履歴はどちらかといえば日記帳に近いものです。書いた本人が読み返しても、どの一言が効いたのかは埋もれていて分かりません。しかも、そのアカウントの外へは持ち出せない。
僕は講義で「AIは、使うものではなく、育てるもの」と繰り返し話しています。では、育てるとは何を渡すことなのか?
答えは3段です。1段目はOS、つまり目的・価値観・判断の基準。2段目は前提、つまり自分の仕事や商売の文脈。3段目は型、つまりうまくいった手順で、講義ではこれを「スキル」と呼んでいます。
この3つが文書になっていれば、アカウントが変わっても渡し直せます。AIの会社が変わっても同じです。手順を1つのファイル(SKILL.mdという名前の手順書)にまとめておけば、Claude・Codex・Geminiの3社のAIで同じように使えます。履歴に埋もれているうちは持ち運べない。文書にした瞬間、持ち運べるものに変わります。
もう1つ、講義の第1回で話している「AI活用のレベル」の考え方があります。レベル1・2は、AIに聞く・一緒に作る段階。レベル3〜5は、任せる・連携させる・自律させる段階です。この間に大きな段差があり、特にレベル3から4へ上がるところは「個人の効率化」から「組織設計」への転換だと説明しています。
今回の話は、まさにこの段差の上で起きています。工夫が個人の中で完結しているうちは、辞めた日に消える。組織の文書になったとき、初めて会社に残ります。
そして段差を越える根っこは、道具の知識ではなく「言語化の力」、狙った文章を書く力です。自分の実力とAIの実力の境目に不安がある人ほど、ここに手を付けると楽になります。書き出せた頼み方は、どこへ行っても自分の実力として残るからです。
今日やる守り方6つと、そのまま使える指示文
① 自分のレベルを確かめる
「AIに質問したことがある」「複数のAIを使い分けている」「自動で動く作業がある」と順に自問します。はいが続いた最後が現在地です。知見がどこに溜まっているかが見えます。
② 履歴から、効いた頼み方を書き出させる
履歴は持ち出せなくても、自分の言葉で書き直した工夫は残せます。いま使っている会話で、次の指示文を貼ってください。
――ここからコピー――
これまでのやり取りを振り返り、うまくいった頼み方を次の形で書き出してください。
・何の仕事か(1行)
・そのとき渡した前提
・効いた指示文
・うまくいかなかった頼み方と、その理由
会社名・取引先名・金額など、社外に出せない情報はすべて伏せ字にしてください。
――ここまで――
③ 1つのフォルダにまとめる
散らばっていると探せません。最初は、消えても困らないフォルダ1つから始めます。
④ ファイル名をそろえ、対照表を先に出させる
名前がばらばらだと後で見つかりません。AIに頼むときは次の一文を足します。
――ここからコピー――
このフォルダのファイル名を「仕事の種類_内容」の形にそろえてください。変更前後の対照表を作成してから実行してください。ファイルは削除せず、不要なものは「保管」フォルダへ移動してください。
――ここまで――
表を見て、気になる行だけ直してから実行すれば、元の名前を失いません。
⑤ 冒頭に自分の判断基準を書く
手順だけ渡すと、AIの判断がぶれます。何を大事にし、何をしないかを最初の数行に置きます。
⑥ 経営者は、置き場所の決まりを今日決める
社員がAIで作った指示文や手順は、個人の頭や個人アカウントではなく、社内の共有フォルダに置く。この一文を決めるだけで、人が辞めても手順は残ります。
勤め人の方は、会社の資料を持ち出すのではなく、自分の工夫を自分の言葉で書き直す、という線を守ってください。
僕なら、辞める日を想定して1枚だけ書きます
ここまで6つ並べましたが、全部を一度にやる必要はありません。一つだけでも、やるとやらないとでは大きく違います。
いちばんの弱点は、仕組みではなく人間の面倒くささです。うまくいった瞬間は気分がよく、書き残すのを後回しにする。そして後回しにした工夫から順に、履歴の山へ沈んでいきます。
僕なら、こうします。
勤め人や個人事業主なら、今日の仕事を1つ終えたところで、②の指示文だけを貼ります。出てきた中から1つ選び、自分の文書に移す。翌日も1つ。これを続けると、手元に「どこへ行っても使える自分の頼み方」が育っていきます。
経営者なら、⑥を今日の会議で決めます。共有フォルダの名前を1つ決め、AIで作った指示文はそこへ置く、と伝えるだけです。凝った仕組みは後から足せばいい。先に置き場所がないと、どれだけ優秀な社員の工夫も、その人と一緒に出ていきます。
僕はエンジニア経験がないまま、自分で設計図を書いてAI経営本部を48時間で組み上げました。あのとき支えになったのは、道具に詳しいことではなく、やりたいことを文章にする力でした。AIの会社やアカウントが変わっても、文書にした判断基準と手順はそのまま持っていけます。
会社のAIに溜めた知見は、退職で消えます。消えないのは、自分の言葉で書き出したものだけです。境目に不安を感じた今日が、書き始めるのにちょうどいい日です。


