▶ 説明会動画を受け取る

AIの可能性を信じていた僕が、それでも見落としていたもの

「賢い検索エンジン」という第一印象

2022年11月30日、ChatGPTが公開された夜のことを、あなたは覚えているでしょうか。

僕にとってあの夜は、後から振り返れば、人生の軌跡を大きく変えることになる決定的な分岐点でした。

しかし、その時の僕は、まだこの技術が持つ本当の意味を、完全には理解できていませんでした。

初めてChatGPTに触れた時の僕の第一印象は、こうでした。

「また、新しい賢い検索エンジンが出たな」

質問を投げかけると、まるで人間が書いたかのような、流暢で自然な文章で答えが返ってくる。

その精度には確かに驚かされました。

興味深い技術であることは、疑いようがありませんでした。

でも、僕の頭の中では、それは「情報検索の進化」という枠を超えないものでした。

Googleがさらに賢くなった程度のもの、という認識だったのです。

検索エンジンが、かなり賢くなった。

便利であることは間違いありません。

でも、それ以上の何かとは思えませんでした。

正直に言えば、ビジネスの現場で本格的に使えるものになるには、まだ数年はかかるだろうと、高を括っていた部分もありました。

AIの可能性は、ずっと信じていた

ここで、誤解のないように言っておきたいことがあります。

僕は、AIの可能性自体は、ずっと信じていました。

10年以上前にNVIDIAの株式を早期に購入したのも、その確信があったからです。

当時、NVIDIAはまだゲーミングGPUの会社として認知されていました。

しかし、僕は違う未来を見ていました。

ディープラーニングの登場、画像認識の劇的な進化、そしてAlphaGoが世界チャンピオンを破った瞬間。

一連の出来事を、僕は注意深く観察していました。

AIが人類の未来を変える。

その予感は、早い段階から強く持っていました。

だから、まだAI関連銘柄として注目されていなかった頃のNVIDIAに、僕は静かに資金を投じたのです。

実際、NVIDIAへの投資は、僕の確信が正しかったことを証明してくれました。

でも、その時の僕が信じていたのは、あくまで「AI技術の進化」でした。

専門家やエンジニアが、AIを使って新しい製品やサービスを生み出す。

巨大テック企業が、膨大な計算資源を投じて研究を進める。

社会全体が、AI技術によって便利になっていく。

そういう「技術革新」としての期待でした。

まさか、自分自身が「AI経営」をする日が来るとは、夢にも思っていませんでした。

AIはツールであり、人間が使いこなすもの。

専門的な知識を持った人が扱うもの。

そういう認識が、僕の中に深く根付いていたのです。

過去の成功体験という名の慢心

当時の僕は、過去の成功体験という名の、ある種の慢心の中にいました。

2004年から始めたメルマガ配信は、それから20年以上の歳月を経て、ライティング一本で年間1億円以上の収益を継続的に生み出す、揺るぎない基盤となっていました。

海外と日本に跨がる複数法人の経営を監督。

これら多岐にわたる事業を、高いクオリティを維持しながら、一人でこなしていました。

「このやり方で間違いない」

その確信が、僕の中に強くありました。

この実績が、僕を「新しいやり方」への挑戦から遠ざけていたのかもしれません。

AIの可能性は信じている。

でも、自分の仕事のやり方は変える必要がない。

そんな矛盾した心理状態だったのです。

今振り返れば、それは最も危険な思考の罠でした。

成功している人ほど、次の時代の変化を見過ごしやすい。

その典型例に、僕自身が陥りかけていたのです。

大富豪メンターの一言が、全てを変えた

そんな僕の認識に、決定的な転機が訪れました。

尊敬する大富豪のメンターとの対話でした。

彼は、数十億後半もの金融資産を米国成長株で築き上げた、僕にとって人生の師とも呼べる存在です。

NVIDIAの早期投資を僕に勧めてくれたのも、彼でした。

彼の投資判断の背景には、常に「世界がどう変わるか」という俯瞰的な視点がありました。

目先の株価ではなく、10年後、20年後の産業構造を見据える目。

その感覚の鋭さに、僕は何度も助けられてきました。

ある日、そのメンターから、いつものように冷静でありながらも、僕の心に深く突き刺さる問いかけがありました。

「孔明、ChatGPTを触ってみたか?」

僕は答えました。

「ええ、触りましたよ。面白い検索エンジンですね」

メンターは、しばらくの間、深い沈黙に包まれました。

その沈黙は、僕の認識の甘さと、彼が抱く未来への確信との間に横たわる、巨大な隔たりを示していたように思います。

そして、その沈黙を破り、彼はゆっくりと、しかし確信に満ちた声で、こう言い放ちました。

「これは検索エンジンじゃない。労働力そのものが変わる革命だ」

その言葉の重みを、当時の僕はまだ完全には理解できませんでした。

「でも結局、情報を整理して返すだけですよね? 人間が自分で探す手間が省けるというだけで・・・」

僕は、そう反論めいた疑問を投げかけました。

「労働力革命」という視点の欠如

メンターはさらに確信に満ちた声で、語り続けました。

「違う。これは労働力の代替だ。人間がやっていた知的作業の多くを、このAIが担える。これまで人間が行ってきた業務プロセスや意思決定のあり方、ひいては経営の在り方そのものが、根本的に変わるだろう。」

彼の力強い断言は、僕の心に強い違和感を覚えさせました。

僕が見落としている何か、いや、とてつもなく大きな変化の波が押し寄せていることを、彼の言葉から感じ取らざるを得なかったのです。

僕は前のめりになり、さらに具体的に質問しました。

「具体的には、どういうことですか? 僕たちの日常やビジネスに、どのような変化をもたらすというのですか?」

メンターは穏やかに、しかしその目は未来を見据えるような鋭さで輝きながら、説明を続けてくれました。

「これまで人間にしかできないと思われていた、高度な思考を要する仕事や、繰り返し発生する定型業務の多くを、このAIが代行できるようになる。それも24時間365日、疲れることなく、高い精度で働き続けることができるのだ。」

その言葉を聞きながら、僕の頭の中では、何かが音を立てて崩れ始めていました。

認識の転換点

その夜、僕は改めてChatGPTと向き合いました。

今度は「検索エンジン」としてではなく、「労働力」として見る視点から、その機能と可能性を徹底的に検証しました。

試しに、普段僕がメルマガ執筆の準備段階でやっているリサーチ作業を、ChatGPTに任せてみました。

数時間かかっていた情報整理が、わずか数分で終わりました。

次に、過去のメルマガを参考として渡し、新しい切り口の構成案を作らせてみました。

完璧ではありません。

でも、叩き台としては十分に機能するレベルの出力が返ってきたのです。

さらに、経営判断で悩んでいた案件について、複数の視点からの分析を依頼してみました。

返ってきた答えは、一人のコンサルタントに相談したような質のものでした。

その瞬間、僕の背筋に、静かな戦慄が走りました。

ああ、これは本当に、メンターの言う通りだった。

これは道具じゃない。

人間の知的労働そのものを、根本から置き換えられる存在なのだ。

あの夜から、僕のAIに対する認識は180度変わりました。

僕が見落としていたのは、AIの「可能性」ではありませんでした。

僕はずっと、AIの可能性を信じていたのですから。

僕が見落としていたのは、「自分自身がAIで経営できる」という視点でした。

AIは専門家が使うもの。

エンジニアが扱うもの。

その固定観念が、僕を「AI経営」という発想から遠ざけていたのです。

これは単なるツールではない。

人類の働き方、ビジネスのあり方、そして社会構造そのものを根本から変える、まさに革命的な存在だと、僕はこの夜、心の底から確信したのです。

上部へスクロール